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【散歩と徘徊】とある休日に目的が定まらないまま3時間歩いて思ったこと

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皆さんこんにちは。安倍です。
この間の休日に、ひたすら歩きまわって考えたことを筆の向くままに。

散歩と徘徊

はたして散歩なのか、徘徊なのか?気になって調べてみた。Wikipediaによると散歩とは、気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くことだそうだ。

多くの場合、近所をとりとめもなくぶらぶらと歩く。ちなみにウォーキングという表現に変えると、健康を目的としたニュアンスが強くなるらしい。

では、徘徊とは・・・?

認知症の「周辺症状」と呼ばれる症状の一つで、家の中だけでなく外に出て、あてもなくうろうろと歩き回ることを言うようだ。

はたから見ると、意味もなくうろついているように見えるかも知れないが、何かしらの原因やきっかけがあり、本人なりの目的を持って動いていると推察されている。

ここまでだと散歩か徘徊かの違いは、それを見守る周囲の捉え方となり得るが、その決定的な違いは「危険」の有無にあるようだ。

自分の居場所や帰り道がわからず、保護が必要となり、交通事故に巻き込まれる恐れが生じてしまうと、これは間違いなく徘徊となるわけだ。

しかし、その様子を散歩だと言われれば、そうも見えなくはないだろう。

“徘徊”と言う表現は是か非か?

自動車学校で習った道路交通法の「6歳未満の者を一人歩きさせてはならない」という条項を思い出した。どこか似ていると思ったので調べてみた。

すると確認できるところで、1年ほど前から「徘徊」という言葉を使わないようにしていることがわかった。

どうやら侮蔑的な表現だという声が上がっているらしい。代わりの表現として、「一人歩き」や「外出中に行方不明になる」「ひとり歩きで道に迷う」などの言い換え案が検討されている。

自治体によっては、公文書では原則的に「徘徊」は使用しないという取り決めがなされているとのこと。

確かに自身も「徘徊」と聞き、「6歳未満の子供を連想」した。大人の”それ”となると「病的な何か」をイメージしてしまう。しかし同時に「探さなければ」という衝動にもかられる。

「徘徊」には事故につながりかねない、急を要するニュアンスが広く浸透しており、周囲の反応も大きく違ってくる。そのため言い換えを躊躇する自治体も少なくはないそうだ。

では、自分はどうなのか?

ある日の休日

17:30頃に「ご飯を食べたい」と思い外出をした。この時点で目的地は未定。いつもの立ち飲み屋に行こうと考えたが、どうも定休日っぽい。行きたい店は行列。目的地を失い、3時間歩いた。

サイゼリアに行き、サラダを食べるか、回転寿司に行き、茶碗蒸しを食べるか、大衆割烹に行き、鳥の竜田揚げor西京焼きを食べるか、蕎麦屋さんに行き、肉うどんを食べるか・・・

そうこうしているうちに、丑の日のポスターを見かけ、ウナギも食べたくなってくる。しかし、吉◯家のヘビのようなウナギは食べたくない。

ケンタッキーも一瞬候補に上がったが、先週食べた。そもそも同じ場所に住み続けると飯屋とは顔なじみにもなるし、常連は話しかけてくる。立ち飲み屋以外の飯屋で話しかけられても、遠くて何を言っているのかわからない。聞きとりづらくてわずらわしい。

コンビニにも寄ったたが、休みの日くらいは平日できないことをやりたいという意地が出てくる。そして結局、隣駅のラーメン屋へ電車移動。家に帰ると21:00を過ぎていた。

あと30年して同じことをしていたら・・・「徘徊」に見えるだろう。

ちなみに散歩系番組というものが存在する。『ブラ◯モリ』、『鶴◯の家族に乾杯』、『ぶらり途中◯車の旅』、『モヤモヤ◯まぁ~ず』、『夜◯巷を徘徊する』などなど、その数は多く、どれも人気番組だ。

ではまた。

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