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「無知の知」に見る極めること、そして意義と実践

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こんにちは、そしてはじめまして!
企画部のヨシヒコと申します。

しょっぱなから真面目?風な文章にて失礼します。
(最初ぐらい真面目でないと皆様の心象が(ry)

☆「無知の知」とは??☆

彼はその意味を解明するために,世に知者と呼ばれている人たちを吟味して歩いた結果,彼らの方は〈何も知らないのに知っていると思い込んでいる〉のに対して,彼のみがみずからの無知を自覚している,すなわち〈無知の知〉という一点において相違していることに気づいた。

無知の知(むちのち)とは – コトバンク

無知の知-140612

有名なソクラテスの言葉ですが、パッと読んだ限りでは中々つかみにくいですよね。要は、「完全に知る」ことなんて出来ないのだから、「知った風なこと(知ったかぶり)をするな」というところでしょうか。
※盛大に意訳してます※

☆知らないことを「知る」こと☆

何かを覚えて少し経つと、「自分はそれを知っている」と思ってしまうことは往々にしてありますよね。(私も非常に耳が痛いです)

でも、本当に「知っている」と言えるのでしょうか。
それ自体の知識はあったとして、それのより良い生かし方や深く掘り下げた知識(認識)まで「知っている」と言えるでしょうか。(そもそも、その「知っている」という内容自体が誤りの可能性まであります)

そういう意味では、極めるにあたってまず第一の関門になるのが「自分は何を知らないのか」を明確に自分自身で認識することかなと思います。
例えば、普段の業務の中で「本当にこのやり方が適切なのか」、「もっと良い方法はないか」と自問してみることもまずはその一助になるのかなと思っています。

そして、その延長線上に出てくるのが「極める」という段階かと勝手ながら思っています。

☆極めることとは☆

極めることは、上記の「自分の知らないこと」及び「自分の知っていること」への正確な理解とそれに応じた行動かなと思っています。

「知っていること」にも常に疑問を抱くことで「知らないこと」が現れ、それを理解するとともにより理解を深めるために行動していくこと。

普段業務を行っていて思いますが、「極める意識」を持っていると、どんどん「知らないこと」が発見され、「これ終わりあるのか・・・?」と感じられることが良くあります。(それは楽しくもあり、途方にもくれたくなったりします)

単なる作業として日々の業務をこなすことは簡単ですが、その1つ1つを極めるように視点を変えると、一転して大きな壁となります。

そういう意味では、常に「自分自身」との戦いとも言えますでしょうか。知っていることと知らないことを「自分自身で」正確に認識した上で、それに応じて各種行動を起こしていかないといけないわけですから。

今回はここらへんで失礼いたします!
ともに「極め」、頂点を目指していける方々のご応募をお待ちしております♪

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