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愛媛から上京してHIPHOPへの道(と仕事の道も)を目指す”えひめん”です

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初めまして!グレイスグループの新人、「えひめん」と申します☆「ラーメン、つけめん、ぼく、えひめん」と覚えて下さい(^^)どうぞ、よろしくお願い致します♪

HIPHOPに生きなさい!?

まずは簡単に自己紹介をさせて下さい!

私は愛媛県生まれで、おばあちやんから主にみかんを与えられて育ちました。私の好きな果物はブドウです。しかし私には、みかんしか与えてもない毎日・・・

時間は経ち、学生になる頃には、とうとうグレてしまいました・・・悪い友達たちと戯れて、ケンカや暴走に明け暮れる毎日。そんな中、ある日おばあちゃんから言われました。

「えひめんや、あんたばHIPHOPに生きなさい」
「ん?おばあちゃん、いったいどういうこと?」
「そのうちわかる日がくるけん」

おばあちゃんはそれしか教えてくれませんでした。

私はHIPHOPが気になり、HIPHOPの3大要素の代表格であるブレイクダンスを初めました。朝起きてブレイクダンス、学校着いてブレイクダンス、家に帰ってブレイクダンス、寝る前にブレイクダンス。私は3度のメシよりブレイキンが好きになっていました。

それなりに成長した私は色んな大会に出場しました。

主な経歴としては、

  • 愛媛ダンスバトル 予選落ち
  • 関西B-BOYバトル 予選落ち
  • JAPANダンス最強バトル 予選落ち

私は悔しくて、おばあちゃんにたずねました。

「おばあちゃん、どうやったらバトルで勝てる?」

するとおばあちゃんが、言いました。

「あんたはHIPHOPの歴史をわかってない。それがわかれば、あんたがダンスを始めた理由がわかる」

そう言い残し、おばあちゃんは映画「ビートストリート」を観ながらみかんを食べていました。

ブレイクダンスの歴史

私は、辞書でHIPHOPの歴史を調べました。

ブレイクダンスは1970年代にニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイルである。
また、アフリカ・バンバータの提案でギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。

要は「ギャングのケンカや抗争をダンスのバトルで決着をつけようぜ」と始まったのがブレイクダンスなのです。

私は、ブレイクダンスと出会い、始めた当初と今の環境を比べてみました。ブレイクダンスを10年間続けた私は、気付けばケンカをやめ、ヤンキー仲間とも離れ、そこにはいたのはブレイクダンスを一緒にやってきた仲間たちでした。もちろん今でも親友です。

ダンスを通じて彼女と出会い、その後、結婚し、大切な家族も出来ました。それを考えた時、私はバトルで勝つ事より、ダンスと出会った事でもっと大事なものを得た事に気付きました。

私はおばあちゃんに伝えました。

「おばあちゃん、僕は今までくだらない人生を過ごしていました・・・今では大事な仲間も出来て、大切な嫁とも出会えました」

その時おばあちゃんが、私を初めて褒めてくれました。

「えひめんや、あんたの生き方、まさにHIPHOPだ」

私は涙を流しながら東京に上京。愛媛で生きた事に、おばあちゃんのもとで生まれ育った事に強く誇りを持ち、東京で楽しく生きています。

長くなりましたが、私の生い立ちはこんな感じです☆

HIPHOPな出逢いに感謝!

本題に戻りますが、現在グレイスグループに入社して、3ヵ月。新人でございます。主な担当はトイレ掃除。休日の過ごし方は自宅のトイレ掃除。はい。トイレ清掃が私の仕事です。

たかがトイレ清掃・・・しかし、私の「大切な職場」です。そんな掃除を3ヵ月続け、素敵な出逢いもありました。

ビルの清掃の管理人さんと仲良くなったり、お隣の整体の先生と仲良くなったり、近所のビルでツバメの子どもが生まれたから、一緒にエサあげに行ったりと、毎日楽しく過ごしております(*^_^*)

これも、清掃をしていなかったら無かった出逢い。

「まさにHIPHOP!」

おばあちゃんに感謝!出逢いに感謝!

このブログをご覧のあなたも私に出逢いませんか?私があなたの人生を成功に導く保証はありません。しかし、あなたの人生を楽しい人生にする自信はあります☆私と一緒にトイレ掃除をやりましょう!!

「最高のHIPHOPを教えます」

女性スタッフ
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