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【大洋ホエールズ】横浜スタジアムで観た試合は今も鮮明に覚えてます!!

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スタッフの塚田です。こんにちわ。

【昔のプロ野球】

昔のプロ野球といえば、一番有名どころは読売巨人軍ですね。確かに昔はテレビをつければ野球中継がやっていて、しかも絶対に巨人の試合というのが当たり前の時代でした。

私が小さい頃にの記憶にある選手といえば、巨人の原辰則選手、クロマティ―選手、中畑選手、江川選手でした。そうですね、巨人の選手ばかりですね。

その頃の自分ですが、父親の影響もあり野球中継はちょいちょい観てました。生まれが横浜ということもあり、当時は大洋ホエールズという球団が好きでした。

その頃の大洋といえば本当に弱くてしょうがない弱小球団でした。でもそんな弱い球団を応援してた自分がいました。

当時、大洋で好きな選手といえれば屋敷、高木、加藤の「スーパーカートリオ」と呼ばれてる3選手でした。

【3選手の特徴】

屋鋪要

3年連続で盗塁王に輝く、超~足が速い選手でした。特に魅力があったのが守備力です。

右中間や左中間の飛球でテレビカメラにボールしか映っていない場面に、落下直前、突然画面内に現れて捕球してしまう守備範囲の広さ・プレースタイルから忍者と呼ばれ、あだ名が「忍者屋敷」となったみたいです。

また、当時のプロ野球選手の中で一番足が速く、100m10秒台で走る俊足の持ち主でした。

高木豊

右へ左へと自在に飛ばす広角打法がうまく、3年連続で3割を打つ強打者でした。また足も速く通算盗塁数300盗塁を達成しております。しかし成功率が悪く、よく失敗をしてるイメージもありました。

屋敷が打って、加藤が送り、最後に高木がホームに返すというのが、当時の大洋のスタイルでした。

加藤博一

足が速いというかとにかく、彼がバッターボックスに立つと球場が盛り上がるイメージでした。特に巨人の江川選手にはめっぽう強く、よく打っていた印象です。

また応援歌に「蒲田行進曲」を使用しており、ギラギラしたイメージが強い選手でした。

【大洋球団】

大洋球団といえば弱いイメージがありますが、確かに何も言い返すことができないぐらい弱く、地元横浜でも人気は振るわずでした。

横浜球場の試合でも相手球団の応援のほうが多いくらいでした。特に巨人戦は7割巨人ファンで、本当にホームチームの球場?と思ったぐらいです。

たまに行った横浜スタジアムで観た試合は、今でも鮮明に覚えています。ノホホンとした雰囲気が好きで、よく自分のおやじに連れて行ってもらってました。

そういえば1回巨人戦を観にいこうと、おやじと横浜スタジアムに行きましたが、満員御礼で球場に入れず、山下公園で船に乗った記憶があります。ついでにマリンタワーも。

小学生の頃の思い出でした。

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